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廃棄物・ゴミの捨て方&ゴミの歴史(東京ゴミ戦争編)

皆さんこんにちわ、ゆるふわDIY部です。
今回からシリーズ物として廃棄物・ゴミの歴史をご紹介して行きます。

目次(menu)

なぜゴミにスポットライトを当てたのか?

ゆるふわDIY部を運営しているデコラティブクリエーションでは、日々大量のゴミが出ます。
2021年現在ゴミや廃棄物の処理価格が高騰していることもあり、ゴミへの関心がゆるふわDIY部の中でも高まっています。
その,ゴミ・廃棄物の問題を考えるにあたって目玉コーナーである歴史シリーズで見ていくとよりゴミ問題に関心を持って頂けると考えたので記事に起こすことに決めました。
そこで、これまでのテーマの最初から現代までを綴るのでは無く、時代で切り取って見ていこうという形をとります。
今までと違う切り口から見ていくことになるので違和感などがあるかもしれませんが、ご了承下さい。
逆に一つの出来事を掘り下げて行きますので、詳しく知りたい方にはより楽しい記事になることになります。

東京ゴミ戦争

※東京ゴミ戦争とは、かつて東京都で深刻化したゴミ問題の総称です。

東京ゴミ戦争の概要

1950年代の東京都では江東区に深川塵芥処理工場があり、東京35区の内の15区のゴミを処理する最大規模の焼却場がありました。時代は高度経済成長期真っ只中で、様々な商品の生産量が多くなると同時にゴミの量も多くなって行きました。
そして江東区内でゴミの処理(最終処分場)が追いつかなくなり、廃棄物とされるゴミがそのまま未処理で埋め立てられることとなった。

現在の夢の島公園

その処分場が夢の島・新夢の島と呼ばれ、現在では「夢の島熱帯植物館」や「東京都夢の島マリーナ」「若洲公園」などの施設が立っています。最終処分先は夢の島に決まったが、清掃工場は江東区にあるため東京23区のゴミは全て江東区に集まります。流石にゴミが集まりすぎると言うことで杉並区のマンション裏に清掃工場を建設することになります。しかし、杉並区民はそれに激怒し、「ゴミを押し付けるな!!」と反発します。それに怒ったのが江東区民で、「今までずっと我慢してきたのに、おかしいだろ!!」ともっともな言い分を盾に対立して行きます。
それが東京ゴミ戦争の始まりです。

1.夢の島・新夢の島へのゴミの移行 1950年〜1956年 (概要と被る部分あり)

江東区にあったゴミ撒き散らし反対の看板

1950年代の日本は高度経済成長期真っ只中で、急速な発展と生活水準の向上に伴い、それまでには考えられない程の廃棄物が発生しました。そのゴミは江東区の清掃工場に運ばれて処理されていました。また、それに伴い江東区ではハエの大量発生、悪臭、火災問題が年を追うごとに大きくなって行きました。

23区全てのゴミが集中している江東区の図


そして、1953年ごろにこのままでは江東区だけでは追いつかなくなると予測し、埋立地として「夢の島」を江東区に作り、そこに大量のゴミを埋め立てる事を計画しました。

江東区に公害が発生していた時期に住んでいた方は・・・
「ちょうど昼食時で、夢の島へ通じる辰巳団地わきの道路にずらりとトラックを並べたまま、運転手たちは近くの食堂にはいっているらしかった。道路にはトラックの落としたゴミが散らばり、汚汁が流れていた。プーンと鼻をつく悪臭、ずらりと並んだゴミ・トラック。「いつまで掃きだめにしておくつもりか」という住民たちの怒りが伝わってくうようであった。

そして、江東区で焼却された廃棄物は、「夢の島」に運ばれていき、埋め立てされて行きます。

2.杉並区の激怒 1966年〜

1966年ごろになると、各区で清掃工場を作り、処理する動きが活発になってきました。
そのうちの一つに杉並区があり、現在の京王井の頭線高井戸駅前に清掃工場の場所を決定しました。

駅から1分の好立地に選ばれた理由

なんと、高井戸駅から徒歩1分でついてしまう好立地な場所に建設計画を立てていました。
理由としては、広大な未開発地があったことと、当時この地域に区議会議員がいなかった事が理由として挙げられました。

余談ですが、現在の清掃工場になっている敷地の半分近くが「内藤小右衛門」さんの土地らしく、一人の地主から大きな土地を買えることになり、土地の入手は意外と楽だったとのことです。

杉並区民はこの計画に激怒

杉並区民は江東区のゴミの有様を知っていたため、この計画に猛反対します。
特に、国や区などの行政からの説明が周辺住民に行き渡っていなかった事があり、住民から見ると強行する方向に見えたようです。
また、住居が密集している地域が近くにあったこともあり、匂いや煙が気になる方もいたらしいですね。

杉並区民の建設計画反対運動

3.杉並区と江東区の対立 1969年〜

江東区民の杉並区からのトラックを識別する様子

怒っているのは杉並区だけではなく、江東区も事業計画に反対する杉並区に対して怒りを露わにしました。
江東区民としては、「ゴミをこちらに押し付けているにも関わらずいったいどういうことだ!!」と言う言い分で杉並区民に対して「おかしいだろ!!」と声を上げました。
これが、東京ゴミ戦争の始まりとされています。

江東区の声に対して杉並区民も反対の声を上げて行きます。
そして、自体は泥沼化して行きます。

自体は悪化の一方をたどり、
ついに江東区の区長は杉並区からのゴミ運搬トラックを江東区の道路上で阻止しました。
この行動は区長自らが行った行動で、当時話題になりました。
また、江東区に協調した東京都清掃組合も、杉並区内でのゴミ収集をボイコットしました。

杉並区では清掃工場に関する会議に住民が乱入して、会議が流れるなどの暴動がありました。

4.和解へ 1974年

その後、1969年の都議選ではどちらの住民の意見を支持するかが焦点になりました。、

東京都はどちらの区からも申請を受けていて、
当時の東京の他の区民からは江東区の人に対して同情的な感情を寄せていたそうです。

最終的にどのような結論に至ったの?

和解

最終的には東京都収用委員会に江東区は採決を求めた所、土地収用法の収容手続き取消訴訟もあったが、
東京地方裁判所から杉並区に勧告が出され、双方和解に至った。

5.杉並清掃工場建設 1978年〜

現在の杉並清掃工場

そして、1978年〜杉並区の清掃工場が建設された。
その後1982年〜稼働が開始し、2017年には新しく工場が建て替えられて、新工場内には東京ゴミ戦争歴史みらい館が設置された。

まとめ

今回の「東京ゴミ戦争」を取り上げたことで、より多くの人にゴミについて関心を持っていただきたい。
ゴミは様々な場所で発生します。もちろんDIYでも廃棄物は出ます。その時にきちんと分別して、より最終廃棄物を小さくする心がけが大事です。
次回はDIYに纏わるゴミの廃棄方法しついて解説して行きますね。

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